家庭教師になって、数学を頼まれなかったことがありません。苦手科目の代表格だと思います。KINGですね。
今回は、わたしと数学について。
最初は得意だったけど…
わたしは中学2年生の10月頃までは数学は好きで、得意でした。が、その頃から「いろいろあって」数学の先生が好きになれず、急に点が取れなくなってしまいました。中学3年生になって、担任が数学担当だったので、「これはいい。助かる」と喜んだものの、いまひとつ得意科目まで引き上げられず、結局嫌いになってしまいました。
苦手意識の払拭
高校に入ったとき「なんとしても数学が得意になりたい」と思っていたら、担任がまたもや数学担当。「今度こそ。よし、この先生についていこう。」と心に決め、ついていきました。先日、数学のチャート式の使い方として「例題と解答を全部覚える」という使い方を紹介しましたが、それはこの時の担任が教えてくれた(というより、強制された)方法です。とりあえず、効果てきめん。苦手意識はなくなりましたね。テストの点もとれるようになりました。でも、好きになれなかった。
きっかけが訪れる
高校2年生になり、数学担当の先生が代わりました。この先生は公立高校を退職して、わたしの高校(私立)にやってきた超ベテランで、確か数学に関する本もお書きになっていた、数学を極めたような先生でした。この先生が数学に対するわたしの見方を変えてくれました。
数学の先生が話していたこと
日本は外交が下手だと、よく言われている。つまり、交渉事がうまくいかない。なぜか。それは、筋道立てて、論理をしっかり組み立てて、相手と話し合えないからだ。自分の主張の理由を、相手を納得させるような仕方で説明できない。今までの知識や経験と、現状と、これからの見通しを比較考量して、説明する訓練が足りない。自分の意見を根拠もなく喚いているだけでは、国際社会からは無視される。駄々っ子と同じである。
この状況のために役立つ訓練が「数学」である。定義、定理、公式などを用いて、なぜこのような答えが出るのか説明する。高校数学は、中学数学と違い、正答を導き出せたとしてもそれだけでは不充分であり、答えを導き出したプロセスが正しいことが要求される。
つまり、「数学」は論理立てて、正しい答えを導き出す訓練であり、自分の意見・考えを論理的に説明するために訓練であり、他の人とのコミュニケーションの訓練である。これから国際社会で相手と対等に話し合うために不可欠なスキルと言える。
目からうろこ
あまりに昔のことなので、詳細は忘れてしまいましたが、だいたいこんな話でした。この話は高校生のわたしの心を揺さぶりました。感動です。目からうろこでした。
論理や、交渉や、コミュニケーションといったものは「国語」だと思っていました。もちろん「国語」の力も必要ですが、数学がこんなに関係するものだとは…。当時のわたしは思いもしなかった。
この話の「一撃」で、わたしの数学に対する見方は変わりました。数学の意義がはっきりしたので、進んで学ぼうという気持ちになり、好きになりました。わたしはこの時すでに文系のクラスに進んでしまっていたのですが、この先生にもう少し早く出会っていたら、理系に進んでいたかもしれません。
数学は単に計算して答えを出す科目ではない
計算力の向上は、数学を好きになるきっかけになるかもしれません。苦手意識はなくなるかもしれません。でも、数学はそれだけではないんです。面白い科目であり、実生活に関わりを持つ科目です。
「連立方程式なんて、生活していて使ったことない」
「円周率を使う仕事なんてあるのか」
こんな狭量な考えで数学との付き合いを見限ってしまったら、もったいない。
数学の意義は、答えを見出すプロセスにあります。
この話はまた、機会があればブログで紹介します。